水前寺清子「ありがとうの歌」誕生秘話と視聴率56.3%の真実
昭和歌謡史に刻まれる名曲「ありがとうの歌」の発売年は1970年(昭和45年)11月25日。この曲は、TBS系木曜8時枠で放送が開始された連続テレビドラマ『ありがとう』の主題歌として世に送り出されました。しかし、その誕生の舞台裏には、従来の芸能界の常識を覆す大胆なキャスティングと、制作陣の強い信念が存在していました。
当時、すでに「涙を抱いた渡り鳥」や「三百六十五歩のマーチ」を大ヒットさせ、国民的スターの地位を確立していた水前寺清子さんに対し、民放ドラマの単独主演という前代未聞のオファーを持ちかけたのが、名プロデューサーとして名を馳せた石井ふく子プロデューサーでした。演歌歌手が連続ホームドラマの主役を張るなど誰も想像しなかった時代です。水前寺さん自身も当時の特番インタビューや自著の回想で「私は歌手であって芝居のプロではない。絶対に無理だと何度も固辞した」と証言しています。
その頑なな態度を突き崩したのが、石井プロデューサーの「演技なんてしなくていい。あなたのあのまっすぐで清潔な人柄、そのままをお茶の間に届けてほしいの」という言葉でした。この熱意に打たれた水前寺さんは出演を決意。これに呼応する形で制作されたのが、ドラマの魂とも言える主題歌「ありがとうの歌」でした。
本作の作詞を手がけた「大矢弘栄」とは、水前寺さんの育ての親であり名付け親でもある大作詞家・星野哲郎氏のペンネームです。そしてありがとうの歌 作曲者を務めたのは、クラウンレコードの気鋭作曲家・関野幾生(せきの いくお)氏でした。星野氏による温もりあふれる言葉の紡ぎ出しと、関野氏による親しみやすくも洗練された旋律が融合し、まさにドラマのテーマである「日常への感謝」を具現化した楽曲が完成したのです。これが現在まで語り継がれる「ありがとうの歌 誕生秘話」の出発点となりました。
ちなみに、水前寺清子さんの愛称である「チータ」の由来も、この星野哲郎氏との深い師弟関係にあります。本名である「林田民子(たみこ)」から、星野氏が「ちいさな民子」をもじって「ちーたみこ」、それを縮めて「チータ」と呼んだことがきっかけでした。俊足の動物チーターのようにまっすぐ全力で駆け抜ける彼女のパブリックイメージとも合致し、瞬く間に全国へ浸透していきました。