荒木村重の妻「だし」はなぜ処刑された?置き去りにされた絶世の美女の真相

荒木村重の妻「だし」はなぜ処刑された?置き去りにされた絶世の美女の真相について知っておくべき 理由を分かりやすい構成で解説いたします。

天正6年(1578年)、織田家臣団の重鎮であった荒木村重が起こした謀叛は、信長にとって背中から斬りつけられたに等しい衝撃でした。摂津一国を任されていた村重は、伊丹の有岡城(現在の兵庫県伊丹市)を要塞化し、織田の大軍を相手に1年近くにわたる頑強な籠城戦を展開します。

しかし、毛利氏や本願寺からの援軍が届かず戦況が絶望的となった天正7年(1579年)9月2日夜、事態は誰もが予想しなかった展開を迎えます。城主である村重自身が、わずか五、六人の側近だけを連れ、夜陰に乗じて有岡城を脱出したのです。城内には、愛妻であるだしの方をはじめとする一族や、彼を信じて命を懸けていた家臣たちの妻子がそのまま取り残されました。

この荒木村重逃亡の真相について、後世では「保身のために妻子を捨てた臆病者」と激しく糾弾されるのが通例です。しかし近年の軍事史研究では、西方の支城である尼崎城(大物城)へ移り、毛利軍と連携して挟撃体制を再構築しようとした「戦略的転進」であったとする見方も提示されています。とはいえ、結果として主将を失った有岡城内の動揺は計り知れず、士気は完全に崩壊。城将の寝返りによって難攻不落の城はついに落城し、残された人々は信長の軍門に降ることとなりました。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

タグ: https://starterpackmemes.com/minimal-japan/6000568/