平安時代の平均寿命30歳説の真相!貴族と庶民の驚きの格差を徹底検証
平安貴族の死因理由を語る上で欠かせないのが、自らの富が生み出した「生活習慣病」です。その象徴例が、摂関政治の頂点を極めた藤原道長でした。
道長の側近や同時代人が書き残した日記『小右記』(藤原実資著)や道長自身の日記『御堂関白記』には、彼の凄まじい闘病の様子が生々しく記録されています。道長は晩年、異常な喉の渇きを覚えて大量の水を飲み干し、急速に視力が低下していきました。これは現代でいう重度の糖尿病(当時の呼称で「飲水病」)の典型的な合併症です。さらに道長は背中に「癰(よう)」と呼ばれる重篤な皮膚潰瘍を発症し、これが引き金となって享年62で世を去りました。
なぜ道長のような最高権力者が糖尿病に倒れたのか。原因は平安貴族の食生活にありました。彼らは玄米ではなく贅沢な「精白米(強飯)」を主食とし、鳥獣肉の摂取が禁忌とされたため、塩漬けの魚や乾燥肉、味付け用の過剰な塩や酢、そして甘葛(あまづら)と呼ばれる濃厚な甘味料を好んで摂取していました。新鮮な生野菜を食べる習慣が乏しく、ビタミンB1不足による脚気が蔓延。さらに、邸内移動すら牛車を用い、運動を軽視する生活スタイルが生活習慣病を深刻化させていたのです。
一方、平安文化の頂点に立った『源氏物語』の作者・紫式部の没年と年齢には諸説ありますが、享年40歳代前半から50代初頭で亡くなったと見られています。貴族社会の女性は御簾(みす)の奥深くで終日座して過ごすことが美徳とされ、極度の日光不足と運動不足に陥っていました。日光浴の欠如はビタミンD生成を阻害し、骨軟化症や免疫力低下を招きます。文化の担い手たちもまた、閉鎖的な生活習慣がもたらす身体的リスクから逃れることはできませんでした。
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