淡路恵子の壮絶な生涯とドラクエ伝説|波乱の家族劇と名言の真相
私生活における淡路恵子の歩みは、映画の脚本以上にドラマチックであり、過酷を極めました。1953年にフィリピン人歌手のビンゴ・ミングと結婚して2児をもうけるも1965年に離婚。そして1966年、当時時代劇の大スターであった萬屋錦之介(当時・中村錦之助)と再婚します。
梨園・時代劇界の大立者の妻として、淡路は自らの女優業を事実上引退し、裏方として夫を献身的に支える道を選びました。しかし、1982年に錦之介が国指定の難病である重症筋無力症を発症。夫が声すら失いかける闘病生活のなか、淡路は昼夜を問わず付き添い、懸命の看護を続けました。
さらに追い打ちをかけたのが、錦之介が率いていた個人プロダクションの倒産です。数億円とも数十億円とも報じられた巨額の連帯保証債務を背負うことになり、淡路は家財道具を処分し、借金返済のために芸能界への本格復帰を決意します。しかし、過酷な闘病を乗り越えた錦之介は、看護を担当していた元女優との不倫関係に走り、1987年に泥沼の離婚劇へと発展。淡路は慰謝料を受け取るどころか、残された借金を自ら背負いながら再出発を余儀なくされました。
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