回答兼刷還使と朝鮮通信使の決定的な違いとは?家康が隠した捕虜返還の真相
Q1:回答兼刷還使が派遣された具体的な年はいつですか?
A1:慶長12年(1607年・第1回)、元和3年(1617年・第2回)、寛永元年(1624年・第3回)の計3回です。第4回となる1636年からは名称が「朝鮮通信使」へと変更されました。
Q2:なぜ秀吉が始めた戦争なのに、徳川家康が国交を回復できたのですか?
A2:家康自身が文禄・慶長の役に積極的でなく、渡海しなかった事実を強調したこと、そして関ヶ原の戦いで豊臣政権から実権を奪ったことで「前政権の対外侵略方針を破棄した」と朝鮮側にアピールできたためです。
Q3:なぜ「刷還(さつかん)」という難しい言葉が使われているのですか?
A3:「刷」という文字には「清める・洗い流す」のほかに「引く・連れる」という意味があり、東アジアの古典外交用語で「散り散りになった民衆を呼び集めて本国へ連れ帰る」ことを「刷還」と表現したためです。
Q4:回答兼刷還使と朝鮮通信使のルートに違いはありましたか?
A4:基本的なルートは共通しています。漢城(ソウル)を出発し、釜山から対馬へ渡海。その後、壱岐・下関・瀬戸内海を経由して大坂(大阪)に上陸し、京都・名古屋を経て江戸(一部は日光)へ向かう壮大な旅程をたどりました。
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