和同開珎の読み方と富本銭との違いは?驚きの現在価値と歴史の真相
朝廷の強い意気込みで発行された和同開珎ですが、当時の現場における浸透は決して平坦ではありませんでした。平城京の発掘現場から出土する木簡や当時の公的記録を検証すると、貨幣経済の導入に対する庶民や地方豪族の強い警戒感が浮き彫りになります。
当時の日本は、何百年にもわたり「米・布・塩」といった現物を価値基準とする物々交換経済でした。形骸化した金属片に価値があるという概念そのものが理解されにくく、朝廷は711年に「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」を制定。一定量以上の銭を貯蓄した者に位階(官位)を与えるという破格のインセンティブを提示して普及を試みました。
しかし、これが皮肉な結果を招くことになります。貨幣を市場で使わせるための政策であったはずが、人々は位階目当てに銭を自宅の土中に埋めて退蔵してしまったのです。さらに、都から遠く離れた地方諸国では依然として米や布による取引が盤石であり、「平城京および畿内周辺を一歩出ると、和同開珎は見向きもされない」という二重構造が長く続きました。
経済社会学的な観点から見れば、貨幣とは「発行主体に対する社会全体の信用」の上に成り立つ共同幻想です。中央集権体制が未成熟であった奈良初期において、強引な法制定だけで人々の信用を勝ち取ることは極めて困難であったことが、出土資料の分布状況からも如実に読み取れます。
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