「疑わしきは罰せず」の真実|推定無罪との違いや裁判例・法的根拠を解剖
日本司法の歴史において、「疑わしきは罰せず」の原則がどのように機能し、あるいはどのように軽視されて冤罪を生んできたのかを振り返ることは極めて重要です。
死刑再審4事件と白鳥決定による原則の再確立
戦後の日本司法史における大きな転換点となったのが、1975年の最高裁「白鳥決定」です。この決定において最高裁判所は、「再審開始の判断においても『疑わしきは被告人の利益に』という原則が完全に適用される」と明言しました。
この司法判断を契機として、昭和の四大死刑再審事件(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)において次々と再審無罪判決が言い渡されました。いずれの事件でも、初動捜査における過酷な取り調べや「自白偏重主義」によって無実の市民が死刑囚として拘束され続け、長年の歳月を経て「客観的証拠の不備」を理由に無罪が勝ち取られたのです。
自著・手記が物語る「無罪判決」の現場のリアル
近年でも、半世紀以上の闘いを経て2026年に再審無罪判決が確定した「袴田事件」をはじめ、重大な刑事裁判の舞台裏では常にこの原則の真価が問われてきました。再審公判の法廷記録や当事者の手記には、国家権力がいかに「有罪のシナリオ」に合わせて状況証拠を都合よく組み立ててしまうかという危うさが克明に綴られています。
「限りなく怪しい」という心証だけで処罰を認めてしまえば、捜査機関のミスや捏造によって誰しもが明日冤罪被害者になり得ます。「疑わしきは罰せず」は、容疑者を甘やかすための甘言ではなく、国家の強大な警察権力から無実の一般市民を守るための命綱なのです。
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