東京の廃駅は今どうなった?都心の地下に眠る幻のホームと遺構の現在

東京の廃駅は今どうなった?都心の地下に眠る幻のホームと遺構の現在とはどんな影響があるのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。

なぜ、巨額の資本を投じて建設された駅が、廃止に追い込まれなければならなかったのでしょうか。その廃駅になった決定的な理由を掘り下げると、単なる利用者の増減にとどまらない、東京という巨大都市特有の構造的ジレンマが浮き彫りになります。

1. 輸送力増強の限界と「編成長」の壁

第一の理由は、高度経済成長期に伴う殺人的な混雑を解消するための「列車の長編成化」です。その象徴が博物館動物園駅でした。同駅の地下ホームは、皇室の御料地であった上野恩賜公園の地下に位置していたため、地上への影響を最小限に抑えるよう設計され、ホーム長が約65m、最大でも4両編成の電車しか停車できない構造になっていました。京成電鉄がスカイライナーの運行や通勤需要に応えるため6両・8両編成へと大型化を進める中、構造上ホームを延伸できなかった博物館動物園駅は、停車できる列車が極端に減少。1990年代には普通列車の大半が通過する事態となり、物理的な限界が廃止を決定づけました。

2. 相互直通運転に伴う地下線再編

第二の理由は、郊外私鉄と都営地下鉄・営団地下鉄(現東京メトロ)との相互乗り入れに伴う路線の地下化・新線建設です。その痕跡が色濃く残るのが京王線旧初台駅の跡地です。もともと地上にあった初台駅は、1964年に一度地下化されましたが、1978年に都営新宿線との直通運転を見据えた「京王新線」が開通。複々線化の過程で、初台駅は新しい京王新線側に新設されることになりました。その結果、京王本線の地下トンネルには、かつて使われていた相対式ホームだけがそのまま取り残されることとなったのです。現在も笹塚~新宿間を走る京王線の車窓を凝視すると、暗闇の中に突如としてコンクリートのプラットホーム跡と業務用蛍光灯が浮かび上がります。

3. 戦時接収と都市動線の変化

第三の理由は、戦争という非常事態と、戦後の都市復興における動線の変化です。京成電鉄寛永寺坂駅 廃止理由がまさにこれに該当します。1933年に開業した同駅は、上野桜木の閑静な住宅街の足として重宝されていましたが、太平洋戦争末期の1945年、軍の命令により営業休止を余儀なくされ、地下線路は国有化された軍需物資の集積所・地下工場として接収されました。戦後の1947年に営業を再開したものの、駅の規模が小さく、隣接する日暮里駅や博物館動物園駅と徒歩圏内であったことから利用客が激減。1953年には正式に廃止され、民間倉庫会社(台東倉庫)へ駅舎が払い下げられるという特異な経緯を辿りました。

田中 結衣

田中 結衣

デジタルマーケティングコンサルタント

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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