徳姫のその後と十二ヶ条の訴状の真相|信康自刃を招いた悲運の生涯
Q1:徳姫が信長に送った「十二ヶ条の訴状」の原本は現存していますか?
A1:訴状の原本は現存していません。内容を伝えるものは後世に成立した『三河物語』や『松平記』などの軍記物に限定されており、実際に12条の項目立てだったのか、あるいは後世の編纂者によって誇張・脚色されたのかについては歴史学者の間でも議論が分かれています。
Q2:夫・松平信康の死後、徳姫は再婚したのでしょうか?
A2:徳姫は信康自刃後、生涯誰とも再婚しませんでした。安土城へ戻った後は織田信雄の庇護を受け、のちに京都で出家して「見光院」と名乗り、亡き夫や織田一族の菩提を弔いながら静かな余生を送りました。
Q3:なぜ徳姫は岡崎城を去る際、娘たちを連れて帰らなかったのですか?
A3:当時の武家社会において、子どもは基本的に「父方(婚家)の家の所有物」と見なされていたためです。特に登久姫と熊姫は徳川家康の直系の孫娘であり、徳川家の将来的な政略結婚の重要なカードでもあったため、家康のもとに残すことが絶対の条件でした。
タグ:
https://aitraining.bnsf.com/jftslbni/8734634/