咳をしても一人の真相とは?尾崎放哉の絶筆に隠された切実な絶望
放哉の文学的才能を開花させたのは、荻原井泉水が主宰した俳誌『層雲社』の存在にほかならない。五七五の定型や季語という五百年以上の伝統を打ち破る自由律俳句運動は、近代という時代を生きた個人の複雑な内面を表現するための必然的な革命だった。形式の美しさよりも、生きている人間の生の痛みをそのまま紙の上に叩きつけること。層雲社はまさにその実験場だった。
この自由律俳句の双璧として放哉と並び称されるのが、種田山頭火である。「分け入っても分け入っても青い山」と詠み、全国を漂泊し続けた山頭火の孤独が「動的な孤独」だとすれば、放哉の孤独は「静的な孤独」であった。山頭火は歩くことで孤独を散らし、他者との出会いを求めた。対照的に放哉は狭い庵に閉じこもり、己の病苦と内面を極限まで煮詰めた。ふたりの対比は、大正から昭和初期の文壇が到達した表現の二大峰と言える。
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