「越山会の女王」佐藤昭子とは何者か|田中角栄との愛憎と娘の真実
1976年に発覚したロッキード事件における佐藤昭子の動きも、歴史の重要な転換点でした。角栄氏の秘書官だった榎本三恵子氏の「蜂の一刺し」証言などが注目を集める中、昭子氏も東京地検特捜部から徹底的な事情聴取を受けました。しかし、昭子氏は取り調べに対して一切口を割らず、角栄氏の秘密を墓場まで持っていく覚悟を貫き通しました。
しかし、鉄の結束を誇った二人の関係は、唐突に終焉を迎えます。1985年(昭和60年)2月、田中角栄氏が脳梗塞で倒れ、言語障害と麻痺が残ったのです。
角栄氏が倒れた直後、田中眞紀子氏によって目白の田中邸および角栄氏への接触が完全に遮断されました。昭子氏は病院の見舞いすら拒絶され、長年守り続けてきた平河町の事務所からも締め出されることになります。権力を誇った「越山会の女王」の政治的生命は、角栄氏の病によって一夜にして断ち切られたのです。
タグ:
https://aitraining.bnsf.com/siahopeg/5015004/