サンフランシスコ平和条約と中国:台湾・尖閣を巡る対立の深層
平和条約の策定を巡り、連合国側の協議は当初から紛糾を極めた。最大の論争点は「誰が中国を代表して署名するのか」という根本的な問いである。1949年に国共内戦を制して北京で建国を宣言した中華人民共和国と、台湾へ撤退して存続を図る中華民国。両者の存在が、連合国陣営に深い亀裂をもたらした。
英国は実効支配と将来の経済的利害を重視し、北京の共産党政権を承認して招請するよう主張した。対照的に、朝鮮戦争の勃発によって共産主義の拡大に強い警戒感を抱いていたアメリカは、台北の国民党政権を支持する立場を崩さなかった。主導権を握る両国の足並みは揃わず、最終的にアメリカの対日和約特使ジョン・フォスター・ダレスと英国側の協議により、「双方の政府とも招待せず、主権回復後の日本自身に選択を委ねる」という極めて変則的な妥協案が採用された。
この決定に対し、当時の政務院総理兼外交部長であった周恩来は激高した。中華人民共和国外交部を通じて「戦勝国である中国を排除して結ばれたいかなる対日条約も、不法であり絶対に承認できない」とする公式声明を発表。中国側は条約そのものの違法性を主張し、サンフランシスコ体制の法的有効性を根底から否定する姿勢を鮮明にした。
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