「御朱印集めてどうする」冷ややかな視線の裏で、令和の参拝者が寺社に見出す“予想外の救い”と集める意味
「信仰心もないのに御朱印をもらうのは不真面目だ」という厳しい声もある。しかし、歴史を振り返れば、江戸時代の「伊勢参り」や「西国三十三所巡礼」も、半分は物見遊山の行楽目的であった。旅の楽しさと信仰が入り混じっていたのは今に始まったことではない。
「形から入ることは決して悪ではない」と京都の古い寺院の住職は語る。綺麗なデザインや限定の文字に惹かれて境内に足を運び、鳥居をくぐり、手を合わせる。その数秒間の祈りの積み重ねが、巡り巡って己の心を見つめ直すきっかけになれば、それは立派な現代の「参拝」なのだ。
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