栗城史多はなぜなんJで語り継がれるのか?登山と劇場化の真相
2018年5月、栗城氏は通算8度目となるエベレスト挑戦に臨みました。指を失って以降、体力の消耗が著しい中で選んだルートは、プロの登山家ですら敬遠する極めて困難な「南西壁」でした。
酸素濃度が平地の3分の1以下となる標高8,000メートル以上のデスゾーン(死の地帯)に挑む前段階で、彼の体調はすでに限界を迎えていました。重度の咳と発熱に苦しみ、キャンプ3(標高約7,400メートル)に到達した時点で登頂を断念。サポートスタッフへ「体調が悪いため下山します」と無線連絡を入れたのを最後に、消息を絶ちました。
翌5月21日朝、キャンプ2付近の斜面でうつ伏せに倒れている栗城氏の遺体がシェルパによって発見されました。公式に発表された直接の死因は低体温症とされていますが、滑落による外傷も確認されており、悪天候と極度の疲労・低酸素の中で足を踏み外したと見られています。河野啓氏の綿密な調査ノンフィクション『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』でも克明に描かれた通り、彼は虚飾のプレッシャーと自らの限界の間で苦悩し続け、最期は孤独な氷壁の中で力尽きました。
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