江戸城無血開城の真相|勝海舟と西郷隆盛が江戸100万人を救った理由
Q1:無血開城という言葉がありますが、戊辰戦争全体で死者は出なかったのですか?
A1:江戸城そのものは流血なしで明け渡されましたが、これに不満を持つ旧幕臣が「彰義隊」を結成して上野寛永寺で戦った「上野戦争」や、その後の北越戦争、会津戦争、箱館戦争など、東北・北海道を中心に激しい戦いが続きました。
Q2:勝海舟と西郷隆盛が会談した薩摩藩蔵屋敷は現在どこにありますか?
A2:東京都港区芝5丁目の第一京浜沿い(都営地下鉄三田駅・JR田町駅近く)に位置しており、現在は「勝・西郷会見の地」として記念碑が建立されています。
Q3:勝海舟が準備していた「江戸焦土作戦」は本気だったのでしょうか?
A3:勝は新門辰五郎ら江戸の町火消の元締めに協力を要請し、実際に主要施設への放火計画を練っていました。ただし、これは新政府軍に無謀な攻撃を諦めさせるための究極の外交カード(威嚇)であり、勝の本心はあくまで和平による江戸の保全でした。
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