クリムトが最期に呼んだ女性エミリー・フローゲ『接吻』の真相と生涯
クリムトが1902年に描いた油彩画『エミリー・フローゲの肖像』(現・ウィーン・ミュージアム蔵)は、青と金を基調としたモザイク状の装飾空間に、凛とした立ち姿のエミリーを描いた名作です。しかし、先進的すぎたこの絵をエミリーの家族は好まず、クリムトは後にこれを美術館に売却しています。そこには、互いの感性を妥協なくぶつけ合う、芸術家同士のリアルな緊張感もうかがえます。
1918年のクリムトの死は、エミリーの人生に大きな喪失感をもたらしました。彼女は画家の遺品や膨大なドローイング、自身に宛てられた書簡を大切に保管し、彼の名誉を守り続けました。
しかし、時代の荒波は彼女の晩年をも容赦なく揺さぶります。1938年、ナチス・ドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)が起きると、「サロン・フローゲ」の主要な顧客であったユダヤ系の富裕層が国外脱出を余儀なくされ、サロンは閉鎖へ追い込まれました。さらに第二次世界大戦末期の1945年、彼女が暮らしていたアパートの火災により、保管されていたクリムトの貴重なコレクションや自身のデザイン資料の多くが焼失してしまいます。激動の時代を気高く生き抜いたエミリーは、1952年、ウィーンにて77歳で静かにその生涯を閉じました。
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