なぜ「桐に鳳凰」は最高峰の吉兆なのか?皇室や花札が愛した格式の真相

なぜ「桐に鳳凰」は最高峰の吉兆なのか?皇室や花札が愛した格式の真相について見逃せない 注意点を分かりやすく解説いたします。

日本において「桐に鳳凰」が国家最高峰のシンボルとなった決定打は、平安時代初期の嵯峨天皇による制度化です。中国文化に深い造詣を持っていた嵯峨天皇は、天皇が重要な儀礼で着用する格式高い装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」の文様に、「桐竹鳳凰文(とうちくほうおうもん)」を採用しました。

この文様は、桐の花と葉、竹の枝、そして竹の実をついばむ鳳凰を組み合わせた極めて厳格な意匠であり、現在に至るまで天皇陛下のみが着用を許される絶対的な禁色(きんじき)・禁文様として受け継がれています。天皇が徳をもって国を治め、国運が永く栄えることへの祈りが込められているのです。

その後、桐そのものの造形は皇室を象徴する副紋(裏紋)として定着し、後醍醐天皇から足利尊氏へ、さらに室町幕府から織田信長や豊臣秀吉へと下賜(かし)されていきました。秀吉が愛用した「太閤桐」をはじめ、武家社会において桐紋が最高の名誉とされた背景には、常にその背後に「桐に宿る鳳凰の神聖さ」が存在していたからに他なりません。今日でも日本国政府の紋章として「五七桐花紋」が使われているのは、この格式の高さが脈々と受け継がれている証拠です。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。

タグ: https://aitraining.bnsf.com/xyisrbcn/2751837/