徳川光圀の真実|諸国漫遊の嘘とラーメン伝説、波乱の生涯を解剖
Q1:徳川光圀は本当に諸国漫遊しなかったのですか?
A1:史実において、光圀が全国を行脚した記録はありません。光圀の移動範囲は江戸と水戸、関東近郊に限られていました。諸国漫遊のイメージは、『大日本史』編纂のために全国へ史料収集に赴いた家臣たちの活躍と、領内を歩いて領民と交流した光圀の姿が後世の創作物で合体して生まれたフィクションです。
Q2:水戸黄門の「助さん」「格さん」のモデルは実在しますか?
A2:実在します。「助さん」のモデルは佐々介三郎宗淳(さっさ すけさぶろう むねきよ)、「格さん」のモデルは安積覚兵衛澹泊(あさか かくべえ たんぱく)という、水戸藩の彰考館で活躍した実在の学者です。彼らは大日本史編纂のため実際に全国各地を旅して史料を集めました。
Q3:徳川光圀はなぜ「黄門」と呼ばれるのですか?
A3:「黄門」とは、中国の官職名「黄門侍郎」に由来する、日本の「中納言(ちゅうなごん)」の唐名(別称)です。光圀が朝廷から権中納言の位を授かっていたことから、「水戸の中納言様」という意味で「水戸黄門」と呼ばれるようになりました。
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