東海村臨界事故の写真と記録が語る惨劇の真実と被曝治療の教訓

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事故現場で沈殿槽にウラン溶液を注入していた大内久氏(当時35歳)と、近傍で漏斗を支えていた篠原理人氏(当時40歳)、そして少し離れたデスクにいた作業長の3名が直撃を受ける形となった。中でも沈殿槽の真上にいた大内久氏は推定16〜20シーベルト以上という、人間の致死量をはるかに超える壊滅的な放射線を全身に浴びた。篠原理人氏もまた6〜10シーベルトという膨大な線量を被曝した。

東京大学医学部附属病院や放射線医学総合研究所をはじめとする国内トップクラスの医療チームが招集され、前例のない高線量被曝患者に対する治療が開始された。大内久氏の体内では、放射線によって染色体が無残にも破壊され、新しい細胞を作ることができない状態に陥っていた。皮膚は剥がれ落ち、消化管からの出血が続き、白血球数を回復させるために世界初となる造血幹細胞移植が試みられた。医療陣は24時間態勢で心肺機能や皮膚の保全、輸血を続けたが、被曝から83日目の1999年12月21日、大内氏は多臓器不全により息を引き取った。篠原理人氏もまた、211日間に及ぶ闘病の末に亡くなった。この激闘の経過は、人類が被曝という未知の病態といかに向き合ったかを示す残酷な記録である。

渡辺 美咲

渡辺 美咲

ガジェット&アプライアンスライター

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