葛飾北斎の雅号「画狂老人卍」の謎|改名理由と壮絶な晩年を徹底解剖
嘉永2年(1849年)4月18日、北斎は浅草聖天町(現在の東京都台東区浅草)の長屋で90年の生涯を閉じました。病の床に伏し、死期を悟った巨匠が最後に残した言葉が今も語り継がれています。
「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」
(天があと5年の命を私に恵んでくれたなら、私は本当の絵描きになれたものを)
世界を驚嘆させる傑作を何千何万と生み出し、90歳まで筆を握り続けた人間が、死の間際に「まだ本物の絵描きになれていない」と嘆いたのです。どこまでも高みを目指し続けた求道者の魂が凝縮された叫びでした。
また、北斎が残した辞世の句も非常に軽妙で印象的です。
「ひと魂で ゆく気散じや 夏の原」
(死んで火の玉となって、夏の野原へでも気晴らしに出かけようか)
肉体を脱ぎ捨ててもなお、魂となって自由奔放に世界を見聞し、描き続けようとする北斎らしいカラッとした気概がうかがえます。
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