六十余州とは?なぜ68国あるのか歴史の謎と広重の浮世絵・名酒を徹底解剖
「六十余州」という言葉の根底にあるのは、古代の律令制によって定められた地域区分である「令制国(諸国)」です。大日本六十余州の歴史を辿ると、701年の大宝律令制定当初から国の数が完全に固定されていたわけではありませんでした。
奈良時代初期には、国の新設や分割・併合が頻繁に行われていました。例えば、丹後国が丹波国から分立し、陸奥国から出羽国が分かれるなど、行政区画の再編が繰り返された時期があります。824年に小値賀島・徳羅島などの再編を経て「66国2島(壱岐・対馬)」の計68行政区分として制度が定着しました。
それにもかかわらず「六十余州」と総称され続けた理由には、以下の3つの歴史的・言語的背景があります。
第一に、制度発足時に基本となる国の数が60カ国前後で推移していた時期の呼び名が慣習化した点です。第二に、古代中国の地理概念に倣い、日本全土を壮大に表現するための雅称として「六十余州」という語感が好まれたことが挙げられます。第三に、68国を「六十八州」と呼ぶよりも、端数を包摂した「六十余」とするほうが詩歌や軍記物語(『平家物語』や『太平記』など)のリズムに調和しやすかったという文学的側面も大きく影響しています。
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