菅義偉の若い頃がイケメン!段ボール工場から総理へ上り詰めた激動半生
「このまま秋田にいては、自分の人生の可能性を試せない」――そう決意した菅氏は、高校卒業と同時に、父親の猛反対を押し切って集団就職の列車に飛び乗り、家出同然で上京を果たしました。1967年春のことです。
東京で最初に就職したのは、東京都板橋区にあった段ボール製造工場(昭和紙工)でした。住み込みで働く日々は想像を絶する重労働で、朝から晩まで機械の轟音と紙粉にまみれ、夜は狭い寮で倒れ込むように眠る過酷な毎日でした。菅氏は後に「自分の視野の狭さと東京の現実を痛感し、このまま一生を終えるわけにはいかないと強烈な焦燥感を抱いた」と振り返っています。
工場を約2年で退職した菅氏は、大学進学を決意。昼夜を問わず築地市場での荷運び、警備員、飲食店での皿洗いなどのアルバイトを掛け持ちしながら受験勉強に励みました。そして1969年、「当時、授業料が最も安かった私立大学の一つだった」という理由から、法政大学法学部政治学科への進学を果たします。
大学時代に自らを徹底的に鍛え上げたのが、剛柔流を掲げる法政大学空手部での活動でした。厳しい上下関係と激しい組手稽古に耐え抜き、副主将を務めるまでに成長。この空手部での過酷な鍛錬こそが、後の政界で「鉄のメンタル」「無類のタフガイ」と恐れられる強靭な精神力とフィジカルの土台となりました。
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