日本画の巨匠・横山大観が仕掛けた「朦朧体」の罠と名作の深層

日本画の巨匠・横山大観が仕掛けた「朦朧体」の罠と名作の深層を詳しくリサーチ! 読者が気になる 重要ポイントを分かりやすく展開します。

大観の芸術を語る上で欠かせないのが、思想的指導者である岡倉天心と、無二のライバルであり盟友でもあった菱田春草の存在だ。1898年、東京美術学校の騒動を経て天心と共に創設した日本美術院は、文字通り近代日本画の梁山泊だった。

東京・谷中から茨城県の寒村・五浦(いづら)へと拠点を移した時期の生活は凄惨を極めた。電気も通らぬ荒涼とした海岸線で、打ち寄せる荒波を見つめながら描く日々。主食はサツマイモ、絵の具を買う金にも事欠く中で、大観と春草は互いのキャンバスを睨みつけ、毎夜のように激論を交わした。論理的で繊細な色彩設計を得意とする春草に対し、大観は直感的かつ豪快な筆致で空間を切り拓く。二人の好敵手が火花を散らしたからこそ、朦朧体は単なる実験を超えた不滅の表現様式へと昇華した。

だが、その共闘はあまりにも早く幕を閉じる。春草が36歳の若さで病に倒れ、世を去ったのだ。半身をもぎ取られた大観は、春草の分まで自らが日本画の未来を背負うと誓い、生涯を賭けて日本美術院の再興と牽引に執念を燃やすことになる。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

タグ: https://aitraining.bnsf.com/lzpixjxi/7269429/