江戸城無血開城の真相|勝海舟と西郷隆盛が江戸100万人を救った理由
事態が急速に暗転したのは、1868年1月の「鳥羽・伏見の戦い」でした。旧幕府軍は新政府軍に敗北を喫し、大坂城にいた15代将軍・徳川慶喜は軍艦で江戸へと退却します。この行動により、新政府軍は慶喜を「朝敵」とみなし、有栖川宮熾仁親王を大総督とする東征軍を組織して江戸へと進軍を開始しました。
旧幕府内では、徹底抗戦を叫ぶ主戦派と、全面降伏を受け入れる恭順派が激しく対立します。幕臣の多くはフランスから導入した最新兵器を有しており、戦力の上では新政府軍に対抗できる余力を持っていました。しかし、ひとたび市街戦となれば江戸全土が火の海になることは明白でした。
この危機的状況下で陸軍総裁に任ぜられたのが勝海舟でした。勝は無益な内戦を避けるため、徹底恭順の姿勢を貫きつつ、新政府軍との直接交渉の機会を必死に模索することになります。
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