東京・山谷の現在地|ドヤ街から激変!治安の真相と2026年のリアル
山谷が日本経済の動脈として最も熱気を放っていたのは、1960年代から1980年代の高度経済成長期からバブル期にかけてだ。東北地方をはじめとする全国各地から単身の男性労働者が集まり、毎朝早朝5時頃になると、道路沿いに立つ「手配師」からその日の現金仕事(飯場行きや建設現場の軽作業)を請け負う光景が日常だった。
当時の労働環境は過酷を極め、低賃金や暴力団の介入、宿の環境悪化に対する労働者側の不満が爆発し、数千人規模が警察と衝突する「山谷暴動」が幾度となく発生した。特に1960年の第1次暴動や1990年の騒乱は全国ニュースとなり、山谷=暴動の街というステレオタイプを決定づけることになった。
しかし、バブル崩壊と公共工事の縮小、ゼネコンの雇用合理化によって日雇い求人は激減した。仕事を失った労働者の多くは街に留まり、急速に老いていった。こうして1990年代後半以降、街は「日雇い労働者の供給基地」から、生活保護受給者や身寄りのない高齢者を支える「福祉・介護の集積地」へとその役割を180度転換させたのである。
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