世界記録352機の撃墜王とは誰か?零戦の英雄から歴代の真相に迫る

世界記録352機の撃墜王とは誰か?零戦の英雄から歴代の真相に迫るの基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

旧日本軍においても、優れた性能を誇った零式艦上戦闘機(零戦)とともに無数の名搭乗員が空を駆けた。とりわけソロモン諸島ラバウル航空戦などで伝説的な活躍を見せた零戦エースパイロットたちは、欧米のミリタリー愛好家からも熱烈な関心を集めている。

海軍屈指の天才パイロットとして記録されるのが西沢広義飛曹長だ。長身で寡黙、ひとたび操縦桿を握れば鬼神のような機動を見せる姿から「ラバウルの魔王」の異名を取った。西沢の正確な撃墜数には諸説あるものの、個人記録の集計が停止される以前の公式・非公式記録を総合した西沢広義の戦績は、およそ87機以上に達すると推定されている。卓越した空間認識能力を持ち、乱戦の中でも弾道を見切って敵機の急所を撃ち抜く神技を持っていたが、皮肉にも1944年、輸送機で移動中に敵機の襲撃を受け、操縦桿を握ることすら叶わぬまま戦死を遂げた。

一方、戦後に自伝『大空のサムライ』を著し世界的なベストセラーとなった坂井三郎の経歴も波乱に満ちている。坂井は中国戦線から太平洋戦線初期にかけて初陣を飾り、通算64機撃墜の記録を残したとされる。1942年のガダルカナル島上空での交戦時、敵編隊後方からの反撃を頭部に受け、右目失明および頭蓋骨骨折という致命傷を負いながらも、奇跡的な執念でラバウル基地まで4時間以上飛び続けて生還したエピソードは世界空戦史の語り草となった。

日米開戦当初、日本海軍航空隊の錬度は世界最高水準にあった。徹底した選抜と長時間の過酷な訓練によって磨かれた個人技は米軍を圧倒したものの、戦争後半には個人の武勇に依存する戦い方が破綻し、組織的なレーダー網と編隊空戦を張り巡らせた米軍の前に消耗を強いられていくことになる。

佐藤 大輔

佐藤 大輔

シニアコンテンツプロデューサー

最新のテクノロジーと生活デザインの融合をテーマに、国内外の最新トピックを発信しています。

タグ: https://aitraining.bnsf.com/iortphyh/2700935/