勝率9割6分の最強力士・雷電為右衛門!横綱になれなかった真相

勝率9割6分の最強力士・雷電為右衛門!横綱になれなかった真相にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

生涯勝率.962、優勝相当28回。これほどの実績を残しながら、なぜ雷電は「横綱」の称号を得られなかったのでしょうか。相撲ファンの間で長年議論されてきたこの最大の謎には、当時の時代背景と政治的力学が深く絡み合っています。

1. 当時の「横綱」は地位ではなく名誉称号(免許)だった

現代の大相撲では、大関の上に「横綱」という最高位の番付が存在します。しかし江戸時代において、番付上の最高位は「大関」でした。横綱とは独立した地位ではなく、品格・力量ともに優れた大関に対し、土俵上で綱を締めて土俵入りを行うことを特別に許可された「名誉免許」に過ぎなかったのです。雷電自身は現役時代、力士としての最高峰である大関の地位に21年間君臨し続けており、実質的な最高位にいたことに変わりはありませんでした。

2. 谷風・小野川の横綱免許と吉田司家の思惑

史上初めて存命中に横綱免許を授与されたのは、雷電の師匠格にあたる谷風梶之助とライバルの小野川喜三郎です(寛政元年・1789年)。この免許を授与したのは、相撲の家元を自任していた熊本藩抱えの吉田司家でした。吉田司家にとって横綱免許の授与は、相撲界における自家の権威を天下に示すための強力な政治的カードでもありました。

3. お抱え大名「松江藩」と吉田司家の政治的対立

雷電が横綱免許を受け取らなかった決定的な要因として有力視されているのが、雷電を抱えていた出雲松江藩主・松平不昧公の存在です。不昧公は江戸幕府内でも指折りの大名茶人であり、非常に誇り高い人物でした。

肥後熊本藩のお抱えである吉田司家に対し、松江藩側が頭を下げてまで名誉免許を申請することを良しとしなかったという力関係が存在します。また、谷風や小野川が免許を受けた際にも大きな政治的根回しが必要であったのに対し、雷電陣営は「大関として土俵で全勝し続けることこそが力士の神髄」と考え、免許という形式的な権威を必要としなかったのです。

山崎 陸

山崎 陸

ガジェット&アプライアンスライター

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