松本龍元復興相の辞任劇と発言の真相|華麗な経歴と早すぎる死の全貌
辞任劇のインパクトがあまりに強烈だったため「失言の政治家」というイメージが先行しがちですが、政策通・剛腕調整役としての政治家実績も高く評価されていました。
1990年の衆院選で旧社会党から初当選を果たした松本氏は、後に民主党結党に参画。国対委員長代理などを務め、党内の調整役として手腕を発揮しました。その実力が最も発揮されたのが、2010年に菅内閣で環境大臣を務めた際のことです。名古屋市で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)において、議長として先進国と途上国の激しい利害対立を見事にまとめ上げ、「名古屋議定書」の歴史的採択を主導しました。
国際交渉の場で妥協点を見出すタフな交渉力と統率力があったからこそ、東日本大震災という未曾有の国難において、各省庁の壁を打ち破るリーダーとして初代復興大臣に白羽の矢が立ったという経緯がありました。
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