上野寛永寺の謎に迫る!鬼門封じの歴史と徳川将軍墓所・特別拝観ガイド
徳川将軍家の菩提寺といえば、港区の増上寺と並び称されるのがこの寛永寺です。歴代15代の将軍のうち、なぜ6人の将軍(4代家綱、5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斉、13代家定)が寛永寺に埋葬されることになったのでしょうか。
発端は、4代家綱が父・家光の遺言に従い、深く崇敬していた寛永寺を自らの墓所に定めたことにあります。これ以降、歴代将軍の埋葬地は増上寺と寛永寺で交互、あるいは各将軍の遺志によって分かれる慣例が成立しました。特に名君として知られる8代吉宗は、「民に過度な負担をかけないように」と質素倹約の遺志を示し、大規模な霊廟建築ではなく簡素な宝塔を建立させたことで知られています。
通常は非公開となっている徳川将軍墓所ですが、近年は文化財の保護啓発を目的とした特別公開(事前申込制の特別参拝ツアーなど)が期日限定で実施され、歴史ファンの間で高い倍率を集めています。また、本坊の奥に位置する「葵の間」は、大政奉還後に最後の将軍・徳川慶喜が水戸へ退去する直前まで身を潜め、恭順の意を示した緊迫の舞台です。歴史が激しく動いた現場の空気が、現代にも克明に受け継がれています。
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