六本木ヒルズを創った男・森稔の真実|波乱の生涯と都市再生の遺伝子
森稔とは一体どのような人物だったのか。多くの関係者は「ディベロッパー(不動産開発者)というより、哲学者であり、都市プロデューサーだった」と口を揃えます。
1934年に京都で生まれた森稔は、東京大学文学部社会学科へ進学。学問の世界から都市を見つめていた青年は、経済学者から実業家へと転身した父・森泰吉郎が創業した森ビルへ自然な流れで合流します。当時の森ビルは、港区の虎ノ門や新橋周辺に「第〇森ビル」と番号を冠したオフィスビルを次々と建設する、堅実な賃貸ビル会社でした。
父の背中を見ながら事業に携わった森稔でしたが、既存の不動産業の枠組みにとどまる気は毛頭ありませんでした。「単に土地を買い、ビルを建てて貸すだけでは街は良くならない」「人が集い、憩い、文化を享受できる有機的な都市をつくらなければ、東京は国際競争力を失う」という強烈な危機感を抱いていたのです。数字や効率ばかりが重視された昭和後期の不動産業界において、彼の抱く構想はあまりに壮大で、時に異端視されることすらありました。
タグ:
https://aitraining.bnsf.com/siahopeg/7395877/