本田宗一郎を支えた天才・藤沢武夫の経営哲学と電撃引退の真相
ホンダが四輪メーカーとしても確固たる地位を築き上げた1973年10月、本田技研工業の創立25周年記念の場で、経済界を揺るがすニュースが駆け巡ります。藤沢武夫氏と本田宗一郎氏が、揃って取締役を退任し現役引退を表明したのです。当時、本田氏は66歳、藤沢氏は62歳。経営陣の若返りを図るには、あまりにも潔い幕引きでした。
引退の引き金を引いたのは藤沢氏でした。ある日、藤沢氏が本田氏に「本田さん、そろそろ潮時じゃないですか。私は辞めようと思います」と切り出すと、本田氏は即座に「お前が辞めるなら、俺も一緒に辞めるよ」と応じたと言います。創業者が長くトップに居座り続ければ、組織は硬直化し若手の芽を摘んでしまう。企業を「私物」ではなく「社会の公器」として残すため、二人は絶頂期での電撃引退を選択しました。
この哲学は家族や親族の扱いにも徹底されていました。藤沢武夫氏も本田宗一郎氏も、「自分の息子や身内は絶対にホンダに入社させない」という鉄の掟を厳格に遵守。藤沢氏の長男である藤沢勉氏をはじめとする親族は一切経営に関与せず、自らの道を歩みました。世襲による派閥争いやガバナンスの崩壊を未然に防ぎ、実力主義の生え抜き社員がトップに立てる道を整えたことこそ、ホンダが現在も独立系メーカーとして輝き続ける最大の理由です。
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