Kkコンビの軌跡と真実|甲子園の伝説からドラフト事件・現在の関係まで

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高校生活の有終の美を飾った1985年秋、日本中を揺るがす大事件が勃発します。それが今も球界最大のドラマとして語られる1985年ドラフト会議です。

少年時代から熱烈な巨人ファンであり、幼少期からの憧れだった王貞治監督(当時)のもとでプレーすることを公言していた清原和博に対し、桑田真澄は「プロには行かず、早稲田大学へ進学する」と明言していました。プロ全球団が清原の指名に動くと見られていた運命の日、読売ジャイアンツが1位で単独指名したのは、進学志望とされていた桑田真澄でした。

指名直後、所属先が決まらない中で開かれた記者会見において、清原が見せた涙の会見は全国に放映され、列島に大きな衝撃を与えました。一方、西武ライオンズから1位指名を受けた清原は失意の底でプロ入りを受け入れ、桑田は批判の嵐の中で巨人入団を決断します。

この一件は、当時「巨人と桑田サイドによる事前の密約があったのではないか」という桑田真澄の密約説として激しいバッシングを巻き起こしました。桑田本人は後年、「大学進学への迷いがあったのは事実であり、巨人が一本釣りするために自ら働きかけたわけではない」と語っていますが、球団フロント側の思惑や情報戦に二人の純粋な18歳が翻弄された側面は否めません。この日を境に、二人の運命と関係性は大きく歪むこととなりました。

林 結菜

林 結菜

ライフスタイル編集者

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。

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