なぜ尊王攘夷は倒幕へと暴走したのか?水戸学から明治維新への全貌
ここで冒頭の問いに戻ります。なぜ外国人を斬りまくっていたはずの尊王攘夷運動が、幕府を軍事的に倒すエネルギーへとシフトしたのでしょうか。ここに尊王攘夷運動が倒幕へ繋がった理由の核心があります。
その答えを端的に示せば、「幕府が攘夷を実行しなかったから」であり、さらには尊王攘夷運動の歴史的経緯まとめが示すように、志士自身が西洋の軍事力を身をもって体感したことによる戦略転換があったからです。
1863年、幕府が約束させられた「攘夷期日」に従い、長州藩は下関海峡を通過する米仏艦船に向けて無謀にも砲撃を敢行しました。しかし翌年、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの4カ国連合艦隊による圧倒的な報復攻撃(下関戦争)を受け、全砲台を破壊されて惨敗を喫します。時を同じくして、前年に生麦事件を起こしていた薩摩藩も、鹿児島湾でイギリス軍艦と直接交戦する薩英戦争を戦い、市街地を焼き払われる甚大な被害を出しました。
長州藩と薩摩藩の動向は、この壮絶な実戦経験によって180度転換します。両藩は悟りました。「外国人を腕力で追い払うことなど不可能であり、攘夷を成功させるには、自らが西洋式の近代兵器を買い揃え、軍備を近代化するしかない」と。そして、そのためには古い封建制に固執し、国家の主導権を握り続ける徳川幕府そのものを武力で倒さなければならないという結論に至ったのです。
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