北斎最晩年の奇跡!小布施・岩松院「八方睨み鳳凰図」と歴史の深層
岩松院の創建は文明4年(1472年)、室町時代に信濃の豪族・荻野備後守常倫が開基となり、雁田城の麓に開かれたことに始まります。長野県小布施町の岩松院の歴史を紐解くと、北斎の美術だけでなく、日本の歴史を彩った重要人物たちの数奇な運命が交錯していることが分かります。
本堂の裏手に静かに佇むのが、豊臣秀吉配下の「賤ヶ岳の七本槍」として勇名を馳せた猛将・福島正則の霊廟(れいびょう)です。関ヶ原の戦いでの功績により広島49万8000石の大名となった正則ですが、のちに幕府の命により改易され、この信濃高井野(現在の高山村・小布施町周辺)へと配流されました。失意のなかで生涯を閉じた正則の遺骨の一部が分骨され、現在もその菩提が手厚く供養されています。
また、境内の一角にある池のほとりには、信濃が生んだ俳人・小林一茶の句碑が立っています。文化13年(1816年)、この池で産卵のためにヒキガエルたちが激しく争う様子を目にした一茶が詠んだのが、あの有名な「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」の句です。病弱だった我が子の姿と重ね合わせたとも伝えられるこの名句が生まれた「蛙合戦の池」は、春先には今も静かな水面に歴史の余韻を漂わせています。
タグ:
https://aitraining.bnsf.com/fcrbuuzc/5447774/