「和を以て貴しとなす」の真意とは?聖徳太子が説いた議論の真実
「和を以て貴しとなす」というフレーズがあまりにも有名なため、それに続く文章を知る人は多くありません。しかし、第一条の全体像を把握してこそ、この教えの真髄が理解できます。
書き下し文の冒頭から続く一節は以下の通りです。
「一に曰く、和を以て貴しとなし、忤(さから)ふること無きを宗(むね)とせよ。人みな党(たむろ)あり、また達(さと)れるもの少なし。是を以て、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)はず、また隣里(りんり)に違う。しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論ずるに諧(かな)ふときは、すなわち事理(じり)おのづから通ず。何事か成らざらん。」
この一文の現代語訳を紐解くと、驚くほど生々しく実践的な洞察が綴られています。
「人間には誰しも派閥やグループをつくりたがる傾向があり、物事の道理に精通した賢者は少ない。そのため君主や親に逆らい、近隣の者とも衝突してしまう。しかし、身分の高い者も低い者も互いに打ち解け、納得がいくまで徹底的に議論を尽くせば、自ずと物事の理に適った結論に達する。そうすれば、成し遂げられない事業など何ひとつない。」
ここで登場する「忤ふること無きを宗とせよ」とは、単に「上の者に逆らうな」という服従の強制ではありません。感情的な反発や意固地な拒絶を捨て、開かれた心で相手の意見に耳を傾ける姿勢を指しています。身分を超えて「事を論ずる(オープンに議論する)」ことこそが、あらゆる難題を解決する鍵だと説いているのです。
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