二・二六事件の真相とは?青年将校の暴走と昭和天皇の激怒を徹底解説
2月29日未明、戒厳司令部は反乱軍に対する本格的な鎮圧作戦を開始しました。宮城(皇居)を取り囲むように包囲網を敷き、反乱部隊に所属する下士官・兵に向けて投降を促す心理作戦を展開します。
アドバルーンや飛行機からのビラ散布に加え、有名なラジオ放送「今からでも遅くないから原隊へ帰れ。勅命が下されたのである。お前達の父母兄弟は国賊となるのを泣いておるぞ」という呼びかけが行われました。だまされて連れ出されていた兵士たちの戦意は急速に失われ、部隊は次々と投降。首謀者の一人である野中四郎大尉は自決し、事件は流血の大戦闘に至ることなく無血で幕を閉じました。
事件後、設置された東京陸軍軍法会議は異例ずくめのものでした。一審制で上訴は認められず、非公開の法廷で弁護人もつけられないまま、極めて迅速に審理が進められました。
同年7月、青年将校ら17名に死刑判決が下され、即座に銃殺刑が執行されました。さらに翌年1937年には、思想的指導者と見なされた北一輝や西田税らも死刑判決を受け、命を落としました。
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