葛飾北斎の雅号「画狂老人卍」の謎|改名理由と壮絶な晩年を徹底解剖

葛飾北斎の雅号「画狂老人卍」の謎|改名理由と壮絶な晩年を徹底解剖の最新情報をお届けします。役立つ情報がチェックできます。

絵画にかける狂気的な情熱の裏で、晩年の北斎の私生活は常軌を逸していました。北斎は同じく卓越した画才を持つ三女・お栄(葛飾応為)とともに暮らしていましたが、父娘ともに掃除や炊事を一切しませんでした。

部屋の中は描き散らした反古紙(書き損じの紙)や食べ残しで足の踏み場もなくなり、生活空間がゴミで埋まると「片付けるのが面倒だから」と引っ越しを繰り返す生活を送ります。その引っ越し回数は生涯で93回に及び、1日に2回引っ越したという逸話まで残っています。こたつに入ったまま絵を描き続け、筆を持たない時間は寝ているときだけという徹底ぶりでした。

また、この時期の作品に見られる落款(サイン)にも強い特徴があります。北斎は絵の隅に「画狂老人卍筆 齢八十」「九十老人卍筆」といったように、自らの年齢を強調して書き入れました。これは「この年齢になってもこれだけの筆勢で描ける」という誇りと、日々の画力向上を証明するタイムスタンプのような意味合いを持っていたと考えられています。

小林 直樹

小林 直樹

トレンドリサーチャー

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。

タグ: https://aitraining.bnsf.com/exxwqkym/6311393/