ガダルカナル島はなぜ「餓島」と呼ばれたのか?敗因の真相と現在の様子

ガダルカナル島はなぜ「餓島」と呼ばれたのか?敗因の真相と現在の様子とはどのようなものなのか? 主要なファクトを整理してお届けします。

1942年8月から1943年2月にかけて繰り広げられたガダルカナル島の戦いは、太平洋戦争における日米の攻守が完全に逆転した一大決戦です。

日本海軍の設営隊がオーストラリアとアメリカの連絡線を遮断する目的で、同島に飛行場を建設していたところ、1942年8月7日、アメリカ海兵隊が電撃的に上陸を開始。不意を突かれた日本軍は完成間近だった飛行場を奪われました。米軍はこの拠点を、直前のミッドウェー海戦で戦死したパイロットの名を取ってヘンダーソン飛行場と命名し、防衛体制を強固に固めました。

飛行場の奪還を目指す大本営は、事態を局地戦と誤認し、増援部隊を小分けにして送り込む「兵力の逐次投入」という致命的な失策を犯します。その第一陣となったのが、精鋭として名高かった一木支隊(一木清直大佐率いる先遣隊約900人)でした。彼らは米軍の実力を侮り、夜襲による白兵突撃を敢行したものの、圧倒的な火力と強固な陣地に行く手を阻まれ、ほぼ壊滅という悲劇的な結末を迎えます。

その後も川口支隊、第2師団、第38師団と兵力が継ぎ足されましたが、強固に要塞化された飛行場を奪還することは最後まで叶いませんでした。

伊藤 翔太

伊藤 翔太

フード&トラベルライター

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。

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