朱雀天皇の知られざる生涯|平将門の乱と24歳電撃譲位の真相
朱雀天皇の生涯をわかりやすく読み解く上で、まず押さえておきたいのが当時の複雑な皇位継承と血縁関係です。朱雀天皇は延長元年(923年)、第60代・醍醐天皇の第十一皇子として誕生しました。幼名は寛明親王(ゆたあきらしんのう / ひろあきらしんのう)です。
母は太政大臣・藤原基経の娘である中宮・藤原穏子(おんし)。穏子を母に持つ皇子には、のちに第62代天皇となる同母弟の成明親王(村上天皇)がいます。朱雀天皇の家系図を整理すると、父方・母方の双方において藤原北家と天皇家が強固に結びついた、まさに摂関政治の権力中枢に位置していたことがわかります。
本来、寛明親王は皇位継承順位の筆頭ではありませんでした。しかし、醍醐天皇の皇太子であった異母兄・保明親王が923年に21歳で急逝。さらに皇太孫に立てられた保明親王の子・慶頼親王も925年にわずか5歳で夭折します。この相次ぐ悲劇は、非業の死を遂げた菅原道真の怨霊の祟りであると宮廷中で恐れられました。その結果、生後わずか2ヶ月余りだった寛明親王に白羽の矢が立ち、皇太子へと立てられることになります。
延長8年(930年)、御所の清涼殿に落雷があり多数の死傷者が出る大惨事が発生。心身に深い打撃を受けた醍醐天皇が崩御したことで、わずか8歳の寛明親王が朱雀天皇として即位しました。幼少の帝を補佐するため、母の兄である伯父の藤原忠平が摂政に就任し、政治の実権を握ることとなりました。
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