東京駅「銀の鈴」はどこ?改札内最短ルートと手作り初代の真相
現在でこそ東京駅のシンボルとして燦然と輝く銀の鈴ですが、そもそも銀の鈴なぜできたのか理由を紐解くと、高度経済成長期特有の切実な現場の混乱がありました。
1964年の東海道新幹線開業以降、東京駅の利用者は爆発的に増加しました。しかし当時の駅構内には目立ったランドマークがなく、連日「迷子」や「連れとはぐれた乗客」が続出。駅の案内所や駅務室には悲痛な問い合わせが殺到し、業務が麻痺するほどの社会問題となっていたのです。
「お客様が誰でもひと目で分かり、心安らぐ待ち合わせの目印を作れないか」——。そう頭を抱えた当時の東京駅助役・関口倫明氏が提案したのが、神社仏閣の鈴を模した目印の設置でした。澄んだ音色で人を呼び、無事に再会を果たせるようにという祈りが込められていたのです。
実は完全手作りだった初代誕生のドラマ
驚くべきは、1968年(昭和43年)6月10日に設置された初代銀の鈴の歴史と誕生経緯です。公的な予算が潤沢にあったわけではなく、関口助役をはじめとする駅員たちが自ら勤務の合間を縫って制作しました。
竹ひごで骨組みを組み、段ボールと和紙を貼り合わせ、その上から銀紙(銀箔テープ)を丁寧に手作業で貼り付けた、直径約70センチメートルの完全なハンドメイドだったのです。鈴の中には本物の真鍮製の小型ベルが仕込まれ、定刻になると澄んだ音色を響かせる仕掛けになっていました。この温もりある手作りの鈴は、またたく間に新聞やテレビで大きく報じられ、全国的な待ち合わせの名所となりました。
銀の鈴歴代デザインの真相とスペック比較
利用者の増加や駅構内の大規模改修に合わせて、銀の鈴はこれまで4代にわたって代替わりを重ねてきました。
現在私たちが見上げている4代目は、単なる案内標識を超えた純然たるパブリックアートです。東京藝術大学の学長や文化庁長官を歴任した彫刻家・宮田亮平氏の手によるもので、鈴の上部には氏のライフワークであるイルカのモチーフ「シュプリンゲン(飛翔)」が施されています。激動の時代を駆け抜ける旅人たちの安全と飛躍を象徴するデザインとなっています。