石破茂の選挙区・鳥取1区はなぜ無敵か?驚異の得票率と地元評判の真相
「なぜ石破茂は鳥取1区でこれほどまでに強いのか?」――これは政治ウォッチャーや有権者が抱き続ける最大の疑問の一つです。単に「知名度が高い」「元総理大臣だから」という一言では片付けられない、長年かけて構築された独自の政治基盤が存在します。その核心には以下の3つの要因があります。
第一に、徹底した「ドブ板選挙」と毛細血管のような後援会組織の存在です。石破氏の父・石破二朗氏は建設事務次官、鳥取県知事、自治大臣・国家公安委員会委員長を歴任した郷土の巨頭でした。1981年に二朗氏が急逝した際、当時三井銀行(現三井住友銀行)の行員だった石破氏を政界へ引き入れたのが、父の盟友であった田中角栄元総理です。田中氏から「選挙は一軒一軒歩いて頭を下げることだ」と叩き込まれた石破氏は、昭和61年の初出馬時、鳥取県内を軽自動車で隈なく回り、数万軒を個別訪問した逸話を持ちます。この時築き上げられた「石破茂後援会」は、自民党組織とは半ば独立したパーソナルな後援組織として、農村部から漁村、都市部商店街に至るまで張り巡らされています。
第二に、「党派性を超えた包摂力」です。地方都市において自民党の支持基盤は農協や建設業界が中心とされがちですが、石破後援会には旧民主党系を支持する労働組合の幹部や、普段は野党に投票する層、無党派層の町民が数多く名を連ねています。「永田町では自民党の政策に異論を唱えても、地元では石破さん個人に投票する」という有権者が極めて多く、自民党支持層の9割以上のみならず、野党支持層の3〜4割をも平然と吸収してしまう構造が出来上がっています。
第三に、「鳥取県民の悲願」としての総理大臣待望論です。鳥取県からは長らく内閣総理大臣が輩出されていませんでした。隣県の島根県からは竹下登氏が出ていることへの対抗意識や、全国最少県としての劣等感を払拭したいという県民感情の中で、石破氏は長年にわたり「鳥取発の総理候補筆頭」として温められてきました。5度にわたる自民党総裁選への挑戦を地元は固唾をのんで見守り続け、2024年の総裁就任時には党派を超えた祝賀ムードが県内全域を包みました。「郷土の誇り」として神格化された政治家に対して、あえて対抗馬を立てて争うこと自体が地元社会では忌避される空気すら醸成されています。