おつやの方の壮絶な生涯と逆さ磔の真相|信長が叔母を処刑した理由

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女城主の誕生直後、運命の歯車は急速に狂い始めます。元亀3年10月、武田信玄が上洛を目指して大軍を動員(西上作戦)。これに呼応し、「信玄の猛牛」と恐れられた武田家重臣・秋山虎繁(信友)率いる別動隊3,000余が東濃へ侵攻、岩村城を完全包囲しました。

岩村城内の兵力は武田勢に対して圧倒的に劣勢でした。おつやの方は織田本隊へ援軍を要請したものの、信長自身が三方ヶ原の戦いへ向かう徳川家康の支援や浅井・朝倉・一向一揆との対峙に追われ、東濃へ軍勢を割く余力は皆無でした。数ヶ月に及ぶ過酷な籠城戦により、城内の食糧は底をつき、孤立無援の絶望的状況に追い込まれます。

この極限状態のなか、秋山虎繁側から提示された開城条件が「おつやの方を虎繁の正室に迎えること」および「城兵・領民の助命と、幼い御坊丸の安全保障」でした。後世の軍記物では「敵将に色仕掛けで降った」かのように矮小化される事例もありますが、当時の一次史料的背景を検証すると、援軍なき城内で家臣と幼子を生かすための高度に現実的な政治的和平交渉であった実態が浮き彫りになります。

元亀4年(1573年)3月、おつやの方は虎繁の妻となる道を選び、岩村城は武田方の軍事拠点へと鞍替えしました。御坊丸は武田の本拠地・甲府へと送られ、人質として武田勝頼のもとで養育されることになります。

橋本 菜々子

橋本 菜々子

トレンドリサーチャー

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。

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