実在するエロマンガ島の真相|名前の由来と行き方・現在の治安を徹底検証
日本のネット上ではコミカルな島として語られるエロマンガ島ですが、その歴史は南太平洋で最も壮絶で悲哀に満ちたものです。19世紀初頭、この島には高品質な香木「白檀(サンダルウッド)」が自生していたことから、西洋の商人たちが押し寄せました。
白人商人たちは現地人を労働力として酷使しただけでなく、暴力による略奪、さらには騙し討ちで住民を拉致してオーストラリアやフィジーの農園に売り飛ばす「ブラックバーディング(奴隷狩り)」を行いました。さらに西洋人が持ち込んだ麻疹(はしか)や天然痘などの伝染病に対する免疫を持たなかった島民は次々と命を落とし、かつて約2万人近くいたと推定される人口は、一時期2,000人を割り込む壊滅的な打撃を受けました。
こうした白人に対する激しい恐怖と憎悪が渦巻いていた1839年、キリスト教の布教のためにロンドン伝道協会の宣教師ジョン・ウィリアムズらが上陸しました。宣教師たちの平和的な意図を理解する術を持たなかった先住民たちは、白人商人による同胞虐殺への報復として、上陸直後のウィリアムズらを殺害。その肉を食べる儀式(カニバリズム)を行いました。
この衝撃的な事件により、欧米世界でエロマンガ島は「殉教者の島(Martyrs' Island)」という恐ろしい異名で呼ばれることになります。その後も数世代にわたり宣教師の殺害と報復の連鎖が続きましたが、島民は決して野蛮だったわけではなく、侵略者から自らの共同体と生命を守るための必死の抵抗だったと現代の人類学では評価されています。
この暗い歴史に終止符が打たれたのは、事件から170年が経過した2009年11月のことです。ウィリアムズ宣教師の玄孫(やしゃご)にあたるチャールズ・ウィリアムズ氏ら遺族がエロマンガ島に招かれ、大規模な「和解の儀礼(Reconciliation Ceremony)」が執り行われました。島民たちは伝統的な踊りと謝罪の品を捧げ、遺族側も過去の恩讐を越えてこれを受け入れ、互いに涙を流して抱き合いました。現在、ディロンズ・ベイの海岸にはこの和解を記念したモニュメントが静かに佇んでいます。