原晋監督が青学を常勝に導いた指導法と経歴の真相
原晋監督のキャリアを語る上で欠かせないのが、陸上選手としての挫折と、その後に経験した中国電力での営業マン時代です。広島県立世羅高校から中京大学へ進学し、日本インカレ5000mで3位入賞を果たすなどトップランナーとして活躍した原監督は、1989年に中国電力陸上競技部の第1期生として入社しました。しかし、度重なる故障により現役生活をわずか5年で断念。27歳で陸上部を退部し、社業に専念することになります。
当時、業務のノウハウも皆無だった原監督が配属されたのは新規事業部門でした。そこで開発されたばかりの「省エネ型空調設備(エコキュート等の前身技術)」の提案営業を担当。誰も見向きもしなかった新商材に対し、自ら徹底したプレゼンテーションと顧客目線の提案を重ね、ついには社内トップクラスの売上実績を叩き出す伝説的な営業マンへと上り詰めました。
2004年、廃部寸前かつ33年間も本戦から遠ざかっていた青山学院大学陸上競技部の監督就任打診を受けた際、周囲は大反対しました。しかし、安定したサラリーマン生活を捨てて単身東京へ乗り込んだ原監督は、「ビジネスの論理をスポーツ組織に持ち込めば必ず勝てる」という確信を抱いていました。就任5年目の2009年に33年ぶりの箱根駅伝本戦出場を果たすと、2015年には悲願の総合初優勝を達成。以後は箱根駅伝の歴史を塗り替える黄金期を築き上げました。
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