ホイットニー『オールウェイズ・ラヴ・ユー』歌詞の切ない真意と誕生秘話
世紀の名曲『オールウェイズ・ラヴ・ユー』の誕生には、映画製作における予期せぬトラブルと、主演・製作を務めた名優ケビン・コスナーの類まれなプロデュース能力が深く関わっています。
当初、映画『ボディガード』のクライマックスを飾る主題歌として予定されていたのは、モータウンの名シンガーであるジミー・ラフィンが1966年に放った名曲『What Becomes of the Brokenhearted(破れたハートの行くえ)』でした。しかし、映画の制作進行中に、1991年公開の映画『フライド・グリーン・トマト』の劇中歌として同曲がカバー使用されることが判明します。同一の楽曲が近接した時期に他作品で使われることを避けるため、制作陣は急遽、新たな主題歌の選定を迫られることになりました。
窮地に陥ったプロジェクトを救ったのが、ケビン・コスナーでした。カントリー・ミュージックに造詣の深かったコスナーは、シンガーソングライターのドリー・パートンが1974年に発表し、カントリーチャートで1位を獲得した『I Will Always Love You』のカバーを提案します。さらにコスナーは、名プロデューサーのデイヴィッド・フォスターとホイットニーに対し、「曲の冒頭部分は伴奏を一切入れず、ホイットニーのアカペラだけで歌い始めるべきだ」と強く主張しました。
当時の音楽業界において、ポップス・バラードの冒頭を長尺のアカペラで始める手法は「ラジオ局でエアプレイされにくい」「リスナーが途中でチャンネルを変えてしまう」として強い抵抗を受けました。レコード会社のアリスタ・レコード首脳陣も難色を示しましたが、コスナーは「彼女の歌声そのものが奇跡なのだから、余計な音で邪魔をしてはならない」と一切譲りませんでした。スタジオでホイットニーがマイクの前に立ち、あの伝説的なテイクを歌い上げた瞬間、スタジオにいたスタッフ全員の疑念は一瞬で吹き飛んだと、当時の制作ドキュメンタリーでフォスター自身が述懐しています。