東関部屋が閉鎖した3つの真相|曙・高見山の名門はなぜ消えた?
東関部屋の歴史は、1986年(昭和61年)2月に始まります。高砂部屋から独立した初代東関親方(元関脇・高見山大五郎)が、外国出身の親方として角界史上初めて部屋を創設しました。
初代親方はハワイ出身ならではのパイプを活かし、同じハワイ・オアフ島出身のチャド・ローウェン(後の第64代横綱・曙太郎)をスカウト。恵まれた体格と猛稽古によって曙を外国出身初の横綱へと育て上げ、大相撲史に燦然と輝く金字塔を打ち立てました。曙と若貴兄弟(若乃花・貴乃花)が繰り広げた激闘は「若貴曙ブーム」として社会現象を巻き起こし、東関部屋は名実ともに角界のトップクラスの部屋へと駆け上がりました。
その後も、独特の気合入れと泥臭い相撲で絶大な人気を集めた「角界のロボコップ」こと元小結・高見盛や、堅実な取り口で土俵を沸かせた元幕内・潮丸など、個性的で実力派の関取を次々と土俵へ送り出しました。
タグ:
https://malolacombe.com/nobutaka/6130171/