住友有芳園の現在と非公開の真実|小川治兵衛が手掛けた幻の名園の全貌
京都市左京区鹿ヶ谷宮ノ前町。銀閣寺から南禅寺へと続く山麓の道筋からわずかに山側へ分け入ると、突如として長大な漆喰塀と重厚な長屋門が姿を現します。ここが住友有芳園の正門付近です。外周を歩くと、敷地内から鬱蒼と茂るアカマツやカエデの梢が通りへと枝を伸ばし、清冽な水の流れる微かな水音だけが塀越しに響いてきます。門扉は常に固く閉ざされ、関係者以外の立ち入りを厳格に拒む威厳を漂わせています。
住友有芳園の歴史と経緯を紐解くと、その起源は明治後期に遡ります。住友家第15代当主の住友春翠が、療養と文化活動の拠点としてこの鹿ヶ谷の地を選定し、当初は別邸として構えたのが始まりでした。その後、大正期にかけて整備が進められ、大阪の鰻谷にあった住友本邸の機能を移転させる形で、名実ともに住友家の京都本邸としての風格を整えていきました。
この広大な敷地の一部を割いて昭和初期に設立されたのが、春翠が蒐集した世界屈指の中国青銅器コレクションを保存・展示する「泉屋博古館(せんおくはくこかん)」です。一般の来訪者が公に入館できるのはこの美術館ゾーンまでであり、美術館の緑豊かなロビー奥に広がる有芳園の本体部分は、物理的にも視覚的にも厳重に遮断されています。
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