横浜の巨大円形地「深谷通信所跡地」の現在と利用計画の全貌
地図アプリを眺めると際立つこの円形地形は、決して現代の都市計画者が幾何学的な美しさを求めて引いた境界線ではありません。その発祥は太平洋戦争前夜の1944年に遡ります。旧日本海軍が短波送信用のアンテナ基地を建設するにあたり、360度全方向へ障害物なく均等に電波を送信できるよう、中心から半径約500メートルの真円形状に土地を強制接収したことが発端です。
終戦直後の1945年9月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により敷地全体が接収され、米海軍横須賀基地所属の「深谷通信所(Naval Communications Station Kami Seya, Fukaya Site)」として運用が開始されました。巨大なリング状フェンスの内部には無数の通信アンテナが立ち並び、立ち入りが厳しく制限される一方で、敷地境界をなぞるように住民の生活道路として形成されたのが現在の外周円形道路(全長約3.1キロメートル)です。
冷戦の終結や衛星通信技術の飛躍的進化に伴い、地上通信施設の軍事的価値は低下しました。横浜市と市民による長年の返還運動が実を結び、2014年6月30日に全域が一括返還。約70年にわたり街の東西南北を物理的・心理的に分断してきた歴史的負債が、ついに市民共有の財産へとバトンタッチされた瞬間でした。
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