レミーのおいしいレストラン結末と裏設定!名作の真実を徹底解剖
本作のハイライトは、冷徹な評論家アントン・イーゴがラタトゥイユを口にした瞬間、批評用のペンを落とし、幼少期に母が作ってくれた温かな記憶へとタイムスリップするシーンです。高級フレンチの席で、南仏の素朴な煮込み野菜料理を出すという型破りな選択は、観客にも鮮烈な印象を残しました。
作中に登場するラタトゥイユは、一般的な煮崩れたごった煮ではなく、薄切りにしたズッキーニ、ナス、黄ズッキーニ、トマトが幾重にも美しく敷き詰められた芸術的な一皿です。これは製作陣が、ミシュラン三ツ星シェフであるトーマス・ケラー氏に監修を依頼し考案された「コンフィ・ビャルディ(Confit Byaldi)」と呼ばれる現代フレンチの手法を忠実にアニメーション化したものです。野菜の旨味を凝縮させた特製ピペラード(パプリカソース)を底に敷き、オーブンでじっくり蒸し焼きにすることで、素材の持つ純粋な香りを極限まで引き出しています。
この一皿を通じてイーゴが執筆した劇評こそ、ピクサー史上に残る屈指のアントン・イーゴの名言です。
「批評家という稼業は気楽なものだ。リスクも負わず、他人の情熱や作品を値踏みして優越感に浸っていられる(中略)。だが時に、世間の嘲笑に立ち向かい、新しき才能を擁護しなければならない瞬間がある。世界は往々にして、新しい才能や未知の創造に冷淡だからだ」
「かつてシェフ・グストーは言った。『誰でも名シェフになれる(Anyone can cook)』と。私はこれまでその言葉を軽蔑していた。だが今、ようやくその真意を理解した。誰もが偉大な芸術家になれるわけではない。しかし、偉大な芸術家はどこからでも現れ得るのだ」
グストーの標語であった「誰でも名シェフになれる」という言葉は、当初「誰にでも料理の才能がある」という安易な平等主義と誤解されていました。しかしイーゴの劇評によって、その本質は「出自や種族、身分に関係なく、天賦の才と情熱を持つ者はあらゆる場所に存在する」という、偏見の解体宣言であったことが明確に示されます。