徳川家重は本当に暗君か?「小便公方」の真相と吉宗が選んだ理由
父である8代将軍・徳川吉宗には、家重のほかに御三卿の祖となった次男・田安宗武や三男・一橋宗尹という実子がいました。とりわけ田安宗武は文武両道に秀で、国学を学び歌人としても名高い秀才であり、幕臣や大名の間でも「次代の将軍には宗武公こそふさわしい」と待望する声が根強く存在していました。
それにもかかわらず、吉宗が頑なに家重を後継者として指名し続けた背景には、幕府の権力基盤を揺るがさないための冷徹な政治判断がありました。かつての幕府初期に見られたような、兄弟間の能力主義による後継者争いは、派閥抗争と幕府の分裂を招く最大の火種となります。吉宗は長子相続の原則を厳格に守ることで、余計な権力闘争の芽を摘み取ろうとしました。
さらに吉宗は、家重の知能が決して劣っていないことを見抜いていました。言葉こそ不明瞭なものの、言われた内容の理解力や判断力は極めて明晰であり、何より家重の嫡男である竹千代(後の10代将軍・徳川家治)が類まれな聡明さを見せていたことも決定打となりました。「家重を挟むことで、将来的に家治へスムーズに権力を継承させる」という吉宗の深謀遠慮が働いていたのです。
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